三文字クラブ JARL主催コンテスト登録クラブ対抗グラフ (2004/5/1更新)
三文字クラブ JARL主催コンテスト登録クラブ対抗年間総合順位(2003/11/8、11/24、2004/2/27、8/26、2005/3/19、2006/3/28、2006/11/19、2007/4/22追記)
項目 | ALL JA | 6m AND DOWN | フィールドデー | 全市全郡 | ALL ASIAN DX (電信) |
ALL ASIAN DX (電話) |
地域 | 総合 | |
2006年 | 順位 | 18 | 13 | 19 | 13 | 39 | 39 | 13 | 46 |
総得点 | 90,110 | 43,813 | 168,498 | 455,723 | 1,425 | 8 | |||
JE1SCJ | CAP 2/24 76,867 |
CA 3/38 41,120 |
XP 2/67 167,328 |
CAP 2/21 322,499 |
AL 95/141 1,425 |
15L 67/74 8 |
|||
2005年 | 順位 | 17 | 17 | 54 | 7 | 43 | 26 | 17 | 67 |
総得点 | 73,836 | 23,997 | 27,012 | 469,452 | 48 | 616 | |||
JE1SCJ | C35P 1/7 11,808 |
CP 1/20 23,997 |
X35 1/12 26,574 |
C35P 1/5 49,592 |
40L 8/16 48 |
40L 3/5 616 |
|||
2004年 | 順位 | 11 | 11 | 13 | 6 | 33 | 35 | 8 | 32 |
総得点 | 130,619 | 68,296 | 289,086 | 533,658 | 1,380 | 448 | |||
JE1SCJ | CAP 1/19 104,811 |
PA 1/74 66,933 |
XA 10/212 287,410 |
XAP 2/26 448,990 |
AL 109/146 1,380 |
80L 1/2 240 |
|||
2003年 | 順位 | 4 | 7 | 17 | 6 | 7 | 5 | 5 | 15 |
総得点 | 400,810 | 75,209 | 262,896 | 955,374 | 197,012 | 88,450 | |||
JE1SCJ | XAM 9/336 196,614 |
XA 3/151 74,229 |
XA 13/283 262,752 |
XAM 5/337 811,092 |
AL 6/175 173,472 |
AL 9/137 88,450 |
|||
2002年 | 順位 | 4 | 4 | 21 | 5 | 10 | 10 | 3 | 15 |
総得点 | 357,521 | 101,481 | 129,280 | 1,056,672 | 154,258 | 34,776 | |||
JE1SCJ | XAP 1/21 124,532 |
XA 1/157 79,344 |
XA 23/243 83,136 |
XAM 7/273 731,590 |
AL 12/122 122,752 |
AL 13/129 34,776 |
|||
2001年 | 順位 | 11 | 4 | 15 | 12 | 8 | 7 | 4 | 20 |
総得点 | 152,152 | 83,516 | 179,624 | 434,131 | 128,779 | 78,090 | |||
JE1SCJ | FML 1/75 126,480 |
FM 4/207 69,056 |
FM 30/363 113,284 |
FMM 25/234 224,104 |
AL 87/141 7,240 |
AL 7/101 78,090 |
|||
2000年 | 順位 | 7 | 13 | 68 | 20 | 13 | 34 | 12 | 43 |
総得点 | 251,307 | 30,187 | 15,856 | 315,091 | 93,227 | 2,832 | |||
JE1SCJ | FML 1/100 128,539 |
CM 4/26 19,038 |
FP 64/73 24 |
FMM 47/295 136,224 |
不参加 | 不参加 |
項目 | ALL JA | 6m AND DOWN | フィールドデー | 全市全郡 | 総合 | |
1999年 | 順位 | 40 | 53 | 66 | 28 | 45 |
総得点 | 86,312 | 26,044 | 24,638 | 557,814 | ||
JE1SCJ | C50L 1/14 5,187 |
FP 12/42 2,244 |
FM 125 16,884 |
CML 1/18 376,880 |
||
1998年 | 順位 | 82 | 64 | 50 | 111 | 88 |
総得点 | 50,071 | 20,768 | 47,510 | 49,997 | ||
JE1SCJ | C50L 1/25 10,710 |
C50 10/64 11,856 |
CP 8/31 5,200 |
C50L 1/6 36,190 |
||
1997年 | 順位 | 28 | 35 | 46 | 52 | 37 |
総得点 | 130,419 | 27,553 | 40,197 | 152,652 | ||
JE1SCJ | 不参加 | C50 5/51 10,920 |
C50 4/23 2,112 |
C50 6/38 40,590 |
||
1996年 | 順位 | 29 | 42 | 54 | 72 | 47 |
総得点 | 142,729 | 20,168 | 32,966 | 80,808 | ||
JE1SCJ | C50 5/47 7,506 |
不参加 | 不参加 | 不参加 | ||
1995年 | 順位 | 34 | 32 | 43 | 74 | 39 |
総得点 | 84,750 | 72,082 | 50,452 | 74,499 | ||
JE1SCJ | C50 7/45 7,134 寄与せず |
C50 2/54 14,429 寄与せず |
F50 59/125 1,105 寄与せず |
不参加 | ||
1994年 | 順位 | 10 | 27 | 16 | 29 | 12 |
総得点 | 287,069 | 64,353 | 207,701 | 408,613 | ||
JE1SCJ | F50 23/306 4,095 寄与せず |
F50 29/217 6,660 寄与せず |
F50 24/111 4,681 寄与せず |
C50 12/35 14,873 寄与せず |
||
1993年 | 順位 | 5 | 3 | 14 | 10 | 5 |
総得点 | 368,605 | 520,483 | 355,253 | 1,008,467 | ||
1992年 | 順位 | 4 | 3 | 9 | 5 | 4 |
総得点 | 534,910 | 1,079,663 | 393,925 | 2,211,361 | ||
1991年 | 順位 | 6 | 4 | 13 | 3 | 4 |
総得点 | 538,018 | 758,446 | 408,049 | 2,789,659 | ||
1990年 | 順位 | 4 | 3 | 13 | 1 | 4 |
総得点 | 464,108 | 428,594 | 199,234 | 2,206,674 | ||
1989年 | 順位 | 4 | 2 | 8 | 4 | 2 |
総得点 | 405,474 | 370,939 | 196,026 | 1,128,830 | ||
1988年 | 順位 | 4 | 2 | 132 | 8 | ? |
総得点 | 342,461 | 259,884 | 862 | 899,495 | ||
1987年 | 順位 | 7 | 11 | 47 | 11 | 10 |
総得点 | 306,135 | 94,039 | 36,390 | 670,604 | ||
1986年 | 順位 | 8 | 11 | 89 | 73 | ? |
総得点 | 464,711 | 83,621 | 8,503 | 55,113 | ||
1985年 | 順位 | 8 | 8 | 93 | 33 | ? |
総得点 | 343,758 | 116,675 | 1,900 | 180,853 | ||
1984年 | 順位 | 4 | 8 | 57 | 19 | ? |
総得点 | 414,084 | 81,610 | 50,143 | 279,351 | ||
1983年 | 順位 | 2 | 2 | 2 | 2 | ? |
総得点 | 1,122,113 | 425,269 | 3,195,282 | 3,195,384 | ||
1982年 | 順位 | 2 | 2 | 5 | 1 | 2 |
総得点 | 644,972 | 248,284 | 613,338 | 2,400,657 | ||
1981年 | 順位 | 35 | 35 | ? | ? | ? |
総得点 | ? | ? | ? | ? | ||
1980年 | 順位 | ? | ? | ? | ? | ? |
総得点 | ? | ? | ? | ? |
三文字クラブでのコンテスト活動(2003/11/8)
開局当初は、6mのAMやFMで夜な夜なローカル局とラグチュウをするばかりであったが、三文字クラブのおかげでコンテストへの参加を行うようになった。それほどオペレーションを磨くことは出来なかったが、コンテストの面白さを知ることが出来た。
三文字クラブは、コンテストへの参加に積極的で、入会した1971年当時、既にクラブ対抗の上位ランキングの常連であった。コンテストへの参加は、クラブ員の有志が移動運用して各々個人コールで出るのが慣わしであったと思う。コンテストへの参加は枡形山(神奈川県川崎市)や三頭山(山梨県北都留郡)などでマルチバンド移動運用を行った。
中でも、特に印象深いのは1975年に移動した北岳(山梨県芦安村:現在は南アルプス市)3,192mでのフィールドデーコンテスト参加であった。山岳移動の経験は多少あったものの、3000m級の登山は初めてであった。メンバー5名で装備を分担、IC-502とTR-1200と3エレ八木1本を持ち上げ、6mのSSB/AM(/CW)の運用を5名全員で行った。全員が6mシングルバンドでの参加であったが、私(JE1SCJ)が1エリア1位となり、他のメンバーも3位、5位と3名が入賞した。この時に賞状を頂いたのがその後コンテストに長く関わる原因となったと思われる。
1977年頃から大学受験活動に伴い、三文字クラブとは遠ざかっていき1980年代から始まる三文字クラブのコンテスト対抗絶頂期に私は全く貢献することが無かった。
1994年、ほぼ10年のQRT期間を経てアマチュア無線活動をコンテスト中心で復活した。三文字クラブの定例ミーティングには参加しなかったが、1996年からはクラブ対抗得点だけの寄与でクラブ活動への参加をした。ただ、三文字クラブとしてはクラブ対抗への熱意は既に冷め切っており、順位はどん底の時期でもあった。私も、自分の好きな6mへのこだわりから参加部門はいつも6mシングルバンドで、さらに入賞狙いで6m電信部門へシフトすることにより、JE1SCJとしてはいくつかのコンテストで入賞したものの得点は低く、クラブ対抗への貢献度は低かった。
1997年、ほぼ20年ぶりに三文字クラブの定例ミーティングに参加して、三文字クラブへの復活を果たした。三文字クラブとして組織的なコンテスト参加は行っておらず、クラブとしてのコンテスト移動も行っていなかった。コンテストには有志として参加して得点計上するだけであり、高得点をたたき出してきたメンバーも少なくなって、クラブ対抗順位はますます下がっていった。
1998年、きゅうあ〜るえるクラブ発行のコンテストガイドブック(CGB)No.4を読んでマルチバンド参加への興味が強くなって、千葉コンテストでマルチバンドコンテストに参加し始めた。6mシングルバンドは近隣に強豪が多くいて、M部門での入賞の可能性が少ないために移行したパワーの少ないL部門で退屈な時間を我慢強く過ごすことに限界も感じていたので、新しいフィールドとして本格的にマルチバンドコンテストへ移行することを決意した。もちろん、マルチバンド移行によって得点が大幅に増えて、クラブ対抗に貢献できると言う意識はあった。実際に戦えるようになったのは、3.5-7MHzのIVと14-28MHzのRDPを設置した後に参加した1999年の全市全郡コンテストからであった。このコンテストでマルチバンド電信L部門(CML)で参加者18名ながら優勝したのが、マルチバンド参加を定着させた。
2000年、JARLのクラブ対抗ルールの変更に伴い、順位決定が全登録クラブから地域、学校、職域、特殊の4つの部門に分割されたことにより、地域クラブとしての三文字クラブが上位に入りやすい環境に変化した。ただ、対象コンテストが国内4大コンテスト(ALL
JA、6m AND DOWN、フィールドデー、全市全郡)に加え、国際コンテストであるALL
ASIAN DX(電信部門)とALL ASIAN DX(電話部門)が追加され、DXコンテストの対応も必要となった。
得点力向上のためにVUHFからSHFとバンド拡張し、HFハイバンドのRDPをトライバンダー3エレ→4エレと変更していった。また、参加部門も電信部門から電信電話部門へ次第に移行して結果的に得点が増えて、三文字クラブのクラブ対抗順位が次第に上がっていった。クラブメンバーのクラブ対抗への意識も強くなり、総合得点が増えていき、2000年の地域クラブ12位から2001年4位となり、ついに2002年3位を獲得、JARLより何年ぶりかでクラブ対抗で賞状を頂いた。
10年間続けてクラブ対抗に参加してきたが、クラブ対抗に勝つためには個人の得点力だけでは限界があり、決して頂点には立てないことが良く分かった。設備の増強や移動運用など色々試した結果、JE1SCJとしての得点力の限界も見え始めてきた。この後、クラブ対抗での順位がどのように推移していくかは、クラブメンバーの貢献度に負うところが増えていくだろう。2003年の全てのクラブ対抗対象コンテストに参加し終えて来年以降どのようなスタイルで参加するかを自問自答する時に来たようだ。
三文字クラブとの関わり(1971年から現在)(2003.1.19)
1971年頃電気実験好きの友人に誘われて、アマチュア無線に興味を抱くようになり、近所にアマチュア無線のアンテナを見ると押しかけてシャックを見せていただいていた。そのメンバーの多くが三文字クラブに所属していた関係で、ライセンス取得前から会合に出没するようになった。
1972年4月、やっとライセンスが到着し、JE1SCJとしてクラブ活動に参加した。主な活動は毎月のミーティングで配布されるガリ版(!)の会報の制作とJARLのコンテストの参加がメインであった。
1977年頃から大学受験のために次第にクラブ活動からは遠ざかっていき、1997年頃クラブに復活するまでのほぼ20年間は三文字クラブとは距離的に近いにもかかわらず、非常に疎遠であった。従って、コンテストクラブ対抗の絶頂期である1980年代初めから1993年頃のクラブ活動には全く貢献していなかった。
再入会した後の活動は、コンテストでの得点貢献がメインである。さすがに20年以上のブランクは大きく、初めのうちはごくわずかな古株を除き、コールサインがピンとこない状況であった。
コンテストの方は、出来る限りクラブの得点に貢献する様に、50MHzシングルバンドからマルチバンドに転向するなどして、次第に順位が上がってきた。2000年からクラブ対抗のルールが変わって、地域クラブ同士で順位を競うようになったが、2000年が12位、2001年が4位と着実に順位を上げている。2002年の結果はまだ出ていないが、前の年と同じ4位程度にはなると見られる。今後は、さらに自分自身の得点力アップやゲストコールによる2TX部門への参加などが面白そうだと思っている。