開局の頃(1970年代)
1972年4月18日、東京都世田谷区の現住所でアマチュア無線局JE1SCJを開局。
トリオTR-1200(1W)+10mH 5エレ八木にてAM/FMモードにてラグチュウ中心の活動を開始。最初からローテータを設置しており、当時の開局レベルとしては、出力パワーを除き結構高かった。JCCも多少は追いかけたが、基本はラグチュウだったため、余り増えなかった。
上の写真はほぼ1年後の1973年4月にアンテナの地上高を10mから12mに持ち上げたときに撮影したもの。長さ1.8mのφ32mmコンジットパイプを3本つないで、屋根からほぼ6m上げている。ステーは鉄製で、加工が大変だった。と言っても、殆ど父親にやってもらったが。
秋葉原のロケットで購入した高さ1.5mほどの鉄製のルーフタワーはがっちりしていたので、10年近く愛用した。ただ、ローテータをルーフタワーに設置するため、高さ的にはこれが限界であった。(いや、限界を超えていたかもしれないが)
上の写真は1976年4月ローカル局が21MHzでDXをやっているのに刺激されて、初めてHFのアンテナを上げたときのものである。当時電信級であったので、DXはおのずと21MHzになる。そのローカル局から強引とも思える力強さで4エレを借りて早速50MHzの5エレの下に設置した。当時、2階が増設されたのに伴い、ルーフタワーの設置場所を変更した時にポールをφ32mmからφ50mm、3.6m長のコンジットパイプに変更していたために、アンテナを2個載せても余り不安はなかった。
リグも何とか調達して、始めてみたものの、全然面白くない。先ず第一に10Wではそう簡単にはDXに取っていただけない。次に英語が駄目だった。もともと英語嫌いで、英語で会話できるような状態ではなかったし、DXのために英語を喋れるようになろうとも思わなかった。そのため、自然とCWの交信となるのであるが、それでは国内QSOと殆ど変わらなかったのである。最後に目的がはっきりしていなかった。DXからのQSLを受け取れば嬉しかったが、DXCCは夢のような目標であったし、英語嫌いでは大好きなラグチュウも出来ない。
ふとしたきっかけで始まったHFの運用は、早々に幕を閉じてローカルから借用したアンテナには戻っていただいた。そして、何度となく訪れるHFとの出会いは、以後も短命に終わる宿命を負ったのであった。
上の写真は1978年4月、何と3.6m長のφ50mmコンジットパイプ2本をつないで、地上14mまで持ち上げたときの写真である。コンジットパイプはご存知だと思うが、電気配管用のパイプであるから、肉厚も薄く、強度はそれほど高くない。強い風が吹くと、大きくゆれていた。
このアンテナは多分2本目のマスプロの5エレだと思う。2002年の現在ではマスプロは50MHzのアンテナを生産していないが、性能はぱっとしないが丈夫で長持ちと言うキャラクターが気に入って2本目も同じアンテナを買ってしまった。
写真には残っていないが、最初のスタックは1974年の3月21日から4月18日に行っている。上のアンテナ高が10m、スタック間隔は3mであったようだ。最初スタックの仕方が良く分からず、75Ωケーブルを使った1/4λマッチングセクションを使って合成するところまでは理解できたが、アンテナを一度に買っている訳ではないので、その間にマッチングセクションの機構が変わっており、同じように取り付けると逆位相となり、かえって利得が低くなると言うことが分からなかった。スタックの効果を得られていないなと思いつつ、ローカル局にお願いして指向性パターンを取ったところ、正面の利得が下がっていることが判明し、数日後に下のアンテナだけ裏返しにして、やっとまともになった。今考えてみると、輻射器の設計が変わっているなら、スタックにしたときに同位相になっているかは甚だ疑問である。今だったら、輻射器の構造を揃える努力をしたであろう。
ところが、このアンテナは台風で根元辺りからパイプが折れて、あっという間に倒壊してしまった。しかし、幸いなことに下側に乗っていた50MHzの5エレ八木の中心付近のブームとコンジットパイプ1本、ルーフタワーの上部についていたベアリングだけが被害にあったのみだった。上に乗っていた50MHzの5エレは屋根の外にオーバーハングするような形で止まったため、無傷であった。また、コンジットパイプも水平近くまで曲がっただけで屋根に当たると言うこともなかったので、屋根も無傷であった。
上の写真は1978年10月、今はなくなってしまったタニグチエンジニアリングトレダース製の50MHz用8エレHB9CVを購入して上げた時のものである。上のアンテナを降ろすのが大変だったため、8エレは西方向、5エレは北方向に向けて設置した。ローテータがついているものの、ステーに引っかかるために45度しか回せないという制限があった。ステーはデベグラスロープを使っていたので、高周波的には問題なかった。
しばらく、回せない状態で使っていたが、やはり使い勝手が悪すぎると言うことで、1ヵ月後の78年11月には上の5エレを降ろしてすっきりさせた。
ブーム長が8mもあるし、エレメントだって8本だから結構利得があると考えていたが、そうでもなかったらしい。FB比が悪く、バックからの信号が良く拾えたし、サイドの切れも悪かった。
この頃には50MHzのSSBで結構JCCを追いかけていたが、何となく飽和気味で無線に対する興味もオペレートから自作に移っていたので、このアンテナは十分使い込むと言うところまで行かずに、ローカル局に譲ってしまった。